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十六夜亭 小説家・鷹守諫也のブログです。

ホワイトデー狂騒曲

『薔薇の運命 王子は偽りの花嫁を抱く』の番外編です。


「ホワイト・デー? なんだそりゃ」
 バレンタイン・デーから半月ばかり経ったある日のこと。お抱え魔道士の口から出た耳慣れぬ言葉に、セレスタインの皇太子カルセドニーは眉をひそめた。
「男性がバレンタイン・デーにもらったチョコレートのお返しをする日のことですよ」
 にっこりと、シリルは答えた。宮廷魔道士の笑みは愛想がよすぎて、かえってカルセドニーは不審を抱いた。この男がこんなふうにニコニコしている時は絶対に何かろくでもない企みを巡らせていることは、経験上よくわかっている。
 しかし『バレンタイン・デー』なる日に愛妻キルシェから手作りチョコレートをもらった手前、無視するわけにもいかない。
「……で、お返しって何を贈ればいいんだ?」
「マシュマロです」
「マシュマロ? あの、白くてふわふわした菓子のことか」
「さようで」
「マシュマロって何でできてるんだ?」
「ゼラチンと砂糖と卵白です。ゼラチンを湯でふやかして、砂糖と泡立てた卵白を混ぜればいいんです。簡単ですよ」
「簡単って……、まさか俺に作れというのか!?」
「料理人に作らせるという手もありますね、もちろん。しかし料理のできないキルシェ様が奮闘してチョコレートを手作りなさったのに、取り寄せたマシュマロを贈ったのではどうも誠意が感じられないと思うんですよねぇ」
 さらににこにこしながらのたまうシリルに、カルセドニーは眉を逆立てた。
「自分がマシュマロ食いたいだけだろ」
「マシュマロはあまり好きではないんです。私はもっと歯ごたえのあるものが好みでして」
「俺だってそうだ!」
「あなたの好みなんかこの際どうでもいいんですよ。とにかくキルシェ様にお礼をしたいと、チョコレートをもらった全員が切望しております。しかし個別にマシュマロを贈ってはかえってご迷惑でしょう」
「キルシェの奴、配りまくったからな。全員からお返しなんか貰ったらマシュマロに埋もれちまう。 
――おまえが『義理チョコ』とか何とか余計なことを吹き込むからだぞ!」
「だからあなたが責任取って、キルシェ様にマシュマロを贈ってください」
「その『だから』は接続が変じゃないか!? 責任取るならおまえだろ!」
 シリルの笑顔が悪魔じみたものに変わる。
「いいですよ。では私がマシュマロを手作りしてキルシェ様に贈るとしましょう。きっと喜んでくださるだろうなぁ。でも旦那は何にもくれない。……冷たい。せっかく愛を込めてチョコレートを贈ったのに……。ああ、やっぱりカルセドニーはわたしが彼を想うほどわたしのことを愛してはいないんだわ……、よよ」
「変なモノマネはやめろ! 全然似てねーし、気味が悪いっ」
 顔を赤くして怒鳴る皇太子を、シリルはけろりとした顔で見返した。
「それじゃ、マシュマロ作ります?」
「作るよ! 作りゃーいいんだろ!?」
「そうですとも。愛を込めて、ね」
また詐欺師的ににっこり笑う美形の魔道士を、カルセドニーは思いっきり不機嫌そうに睨み付けた。


(やっぱり、何だか変……)
 年少の見習い騎士たちに稽古をつけるため、銀竜騎士団を訪れていたキルシェは、無蓋馬車の座席から気がかりな顔で背後を振り返った。建物に入っていくカルセドニーの後ろ姿がちょうど見えた。それが妙に急いだ様子に思えてますます気になる。
 近頃カルセドニーの様子がどうもおかしいのだ。数日前から帰りが急に遅くなり、尋ねても『ちょっと忙しくてな』と言葉を濁すばかり。はっきりとした答えは帰って来ない。
 キルシェが稽古をつけに来る日は、いつも一緒に皇太子宮へ帰っていたのに、今日は仕事が残ってるから先に帰ってくれと言われてしまった。
 終わるまで待ってると言ったら妙にそわそわし始め、ほとんど追い払うように馬車に乗せられた。
 副官のアンセムらの言動も怪しい。何かあるのかと尋ねようにも、あからさまに避けられているし、捕まえても目を逸らしつつ知らぬ存ぜぬの一点張り。
 なまじカルセドニーに対する忠誠心が篤いゆえ、脅してもすかしても彼らは頑として口を割らない。見習い騎士たちを問い詰めても同様だった。
(何なんだろう。政治問題じゃないみたいだし……)
 政治的なことで、カルセドニーに隠し事されたことはない。話せないことならその理由をちゃんと説明してくれる。こんなふうに秘密を持たれるのは結婚以来初めてだ。
「――止めて! 忘れものした」
 キルシェは御者に命じて馬車を止め、ドアを飛び越えてひらりと降りる。今日は稽古日だからキルシェは動きやすい男装姿だった。
「妃殿下!?」
「待ってて。すぐ戻る」
 慌てる御者に言い置いてキルシェは身軽に走り出した。見つからないように用心して騎士団の敷地へ潜り込む。裏から入ろうとして、キルシェは足を止めた。
 見慣れない女性がいる。すらりと背の高い、成熟した大人の美女だ。しかもそのすぐ側にはカルセドニーの姿があった。離れているので会話の内容はわからないが、ずいぶん親しげな様子だ。カルセドニーは照れくさそうに笑って頭を掻き、女性を促した。
 慣れた様子で女性が建物の中に入っていくのを、キルシェは茫然と見ていた。



 その夜、カルセドニーの帰りはかなり遅かった。ひとりで夕食を済ませ、キルシェは自分の寝室に向かった。
 夫妻は皇太子宮で東翼と西翼にそれぞれの続き部屋を持っているが、普段は中央の共用部分にある夫婦の寝室を使っている。キルシェが自分の部屋で休むのは具合が悪い時と障りがある時だけだ。
 キルシェは頭が痛いからひとりで休むと女官に告げ、皇太子が様子を見に来ても断るようにと言いつけて部屋に籠もった。
 鏡の前に座り、ぼんやりと髪にブラシを当てる。たちまち心は移ろい、夕方の光景がありありと眼前に浮かんだ。
(……綺麗なひとだったな)
 思い出すと鈍く心が痛んだ。顔だちの美しさだけでなく、大人の女性の色香がある。踝まで届くマントをはおっていたから体格はよくわからないが、すらりとしてとても姿勢がよかった。
 瞬きして鏡に映る自分に焦点を合わせる。カルセドニーによく『ヤマネ』とからかわれる大きな瞳はいつにもまして頼りなげで、ますます自信がなくなった。
 愛らしい顔だちは悪く言えば子どもっぽいし、大きい目ばかりが目立ってバランスが悪い。そのうえすべてが小作りで、ほっそりしていて、どうにも頼りない。
 キルシェは眉を垂れ、鏡に向かって呟いた。
「……ごめんね、リーリエ。せっかくリーリエが譲ってくれた身体なのに、不満を抱くなんて罰当たりだよね……」
 腹違いの妹リーリエは、政治絡みの陰謀で暗殺されたキルシェに自らの身体を譲って冥府に下った。本来死ぬべき自分に命を譲ってくれたのだ。
 キルシェにとってこの身体は今の自分の身体であると同時に、大事な預かり物という意識がつねにある。大切に手入れをして、慈しんで、いつも綺麗にしておきたいと思っている。
 リーリエの身体や顔に、キルシェ自身は何の不満も抱いていない。リーリエが生まれてからずっと、誰より可愛い妹だった。大きな瞳も華奢な体つきも、すべてが愛らしく愛おしい。
 なのに、カルセドニーのことを思うとにわかに自信がなくなってしまう。自分のような小柄で華奢な女は彼の本来の好みではないようだと、薄々気付いてはいたのだ。
 アンセムや他の騎士たちの洩らした言葉から推測するに、彼が独身時代に好んで付き合っていたのは、骨格のしっかりした、肉感的な美女ばかりだったらしい。
 自分とはまるで真逆のタイプである。そして、夕方見かけた女性は、まさしくそういうタイプの美女だったのだ。
 考えるほどにキルシェは果てしなく落ち込んだ。すべてに対して自信がなくなってしまう。
 夫婦の営みだって、自分はいつも満足しきっているけどカルセドニーのほうはどうだかわからない。キルシェはあまり体力がなくて最後は大抵失神してしまうから、彼が満足するまで付き合えているのかどうかも確信がもてなかった。
 悶々と悩んでいると、扉の向こうで人声がした。急いでランプを消し、ベッドに潜り込んで毛布を頭からかぶる。扉が開く音がして、細い光が部屋に射し込んだ。
「あの……、妃殿下はもうおやすみになられましたので……」
 遠慮がちな女官の声に、カルセドニーの低声が重なった。
「時々様子見て、何かあったらすぐに知らせろ」
 承知する女官の声が閉じたドアの向こうに消える。肩の力を抜くと同時に、寂しさがどっと押し寄せた。静かな暗闇の中、キルシェはいつまでも眠れなかった。



 翌日も、キルシェはひとりで休んだ。カルセドニーが何も言って来ないことも、自分の憶測が正しいという裏付けのように思えて、キルシェの落ち込みはさらに深まった。
 さらに次の日も自分の寝室に引っ込んでぼんやり横になっていると、いきなりドアが開いた。さいわいドアに背を向けていたので、そのまま寝たふりをする。当直の女官が押し殺した声で制止するのを、カルセドニーは抑えた低声で遮った。
「しばらく様子見たら引き上げる」
 いくら皇太子妃の命令とはいえ、女官の立場では皇太子に対してそう強く出るわけにもいかない。扉が閉まり、足音が近づいてくるのを、キルシェは息を殺して聞いた。
 ぎしっとベッドが軋み、大きな掌が額を覆う。
「……熱はないみたいだな」
 ひとりごちた男の声に安堵と罪悪感とが同時に沸き起こり、キルシェは気付かれないように小さく唇を噛んだ。
 無骨で優しい手が頬をそっと撫でる。
「なんか悪いもんでも食ったかな……。いや、腹痛じゃなかったっけ。風邪ひいたか?」
 気づかわしげに呟き、カルセドニーはサイドテーブルに何かを置いた。そして身を屈めてキルシェの頬にそっとキスした。
「ゆっくり休めよ」
 囁いて離れてゆくぬくもりを、キルシェは反射的に追いかけた。服を掴まれたカルセドニーが驚いた顔で振り向く。精悍な顔に苦笑が浮かんだ。
「起きてたのか」
 枕元に座り直した男に取りすがるように抱きつくと、カルセドニーは面食らったように笑って背中を軽く叩いた。
「どうした?悪い夢でも見たのか」
 夢だったらいいのに。あれが夢なら、こうして抱きしめてもらえれば不安なんかすぐに消えてしまうはず。だけど夢ではない証拠に、逞しい腕に抱かれても悲しさがつのるばかりだ。
「……やっぱりわたしじゃだめ?」
「ん?」
「わたしだけじゃ、満足できない?」
「あ?何言ってんだ?」
 怪訝そうに男がキルシェの顔を覗き込む。
「今でもわたしのこと、好き……?」
「当たり前だろ。どうしたってんだ、やっぱり食あたりか」
 カルセドニーは心配そうに眉を寄せ、キルシェの頬や額に撫でたりさすったりした。
「熱はないよな……。腹が痛むんじゃないか?昨日からろくに食ってないって聞いたぞ。具合が悪いなら医者を呼ぶ。遠慮せず言えよ」
「――じゃあ言うけど」
「何だ、どうした」
「浮気してるでしょ」
「はぁ!?」
 カルセドニーはぽかんとキルシェを見返した。
「何言ってんだ、おまえ……。やっぱり食あたりだ。錯乱してる。さては幻覚キノコに当たったな?」
「キノコなんか食べてない!」
 頭に来てキルシェは叫んだ。
「見たんだから! 美人にデレデレしてるとこ」
「どこの美人だ、そりゃ。おまえじゃないのか」
「ふざけないでっ」
「おまえこそふざけんな。あっ、さてはこないだの仕返しだな? 浮気してるんじゃないかとおまえを責めたのを根に持って……」
 キルシェは真っ赤になった。
 一月ほど前、『バレンタイン・デー』に騎士団の皆にも『義理チョコ』を配ったところ、嫉妬に駆られたカルセドニーは騎士団の彼の部屋で強引にキルシェを抱いた。
 窓から明るい陽射しが射し込む室内で、広い執務机に押し倒されて快楽に悶えたなど、キルシェにとってあまり嬉しい記憶ではない。
「ほ、本当に見たんだから!稽古のあった日、騎士団の裏口で見たんだ。嬉しそうに照れ笑いしながら美人と話してた。話してただけじゃなくて、中に入れた!その日、帰ってくるの、すごく遅かったじゃないか……っ」
 うっ、とカルセドニーが答えに詰まるのを見て、キルシェは眉を逆立てた。
「やっぱり……! 他の女にそそられたりしないって約束したくせに、その舌の根も乾かぬうちに~~~っっっ」
 キルシェは枕を引っ掴み、カルセドニーをばしばし叩いた。
「こ、こら、落ち着け! 浮気なんかしてねぇし、そそられてもいねぇって! だいたい、あの女は亭主持ちで……」
「しかも不倫!? 浮気した上に不倫だなんて、いくらなんでも許せないっ……!!」
「違うって! ――これ! これ作ってたんだっ」
 遅いかかる枕を避けながらカルセドニーはサイドテーブルに手を伸ばした。そこにはいつのまにかリボンのかかった小箱が乗っていた。カルセドニーは乱暴にリボンを解くと蓋を開け、キルシェに箱を突きつけた。
「これを作ってたんだよ!ほら!」
 キルシェは枕を掴み、息を荒らげたまま箱を見つめた。そこには何だか不格好な白い塊が並んでいた。表面には片栗粉のような粉が振ってある。
 カルセドニーは塊をひとつ指で摘み、ぽかんとしているキルシェの口に押し込んだ。甘くて、ふにっとやわらかな食感だった。
「……マシュマロ?」
「そうだよ。今日は『ホワイト・デー』とかいう、チョコレートのお返しをする日なんだろ? シリルに言われてさ。作り方習ってたんだ」
「これ、カルセドニーが作ったの!?」
「結構大変だった。俺、料理なんて一回もしたことねぇし……。泡立て器だのボウルだの、持つもの初めてで」
「騎士団の厨房で……?」
「ここの厨房でやってたらおまえにバレちまうだろ。内緒で作って、驚かせてやろうと思ってさ」
「まさか本当に手作りしてくれるなんて……」
 照れたように笑う夫を、キルシェは感動して見つめた。
「あの女は夫婦で菓子店をやってるんだ。シリルが頼んで、教えに来てもらった。マシュマロの作り方くらいうちの料理人だって知ってるのに、シリルの奴、あの店の菓子が気に入ってるみたいでさ。マシュマロの他にクッキーだのマドレーヌだの、焼き菓子を山ほど作ってもらってご満悦だよ。あの野郎、最初からそれが目当てだったんだ」
 カルセドニーはふてくされた顔でぼやいた。目を瞠っていたキルシェが笑いだすと、彼は照れ隠しのように眉を吊り上げた。
「こら、笑うなよ。一生懸命作ったんだぞ」
「わかってるけど……、でも、カルセドニーが泡立て器とか持ってるの想像したら……っ」
「卵白を泡立てるのって意外と難しいんだぞ! ツノが立つまでしっかり泡立てるとか言われても、なかなかうまく立たねぇし」
「ふふ。苦労のかいあっておいし……」
 もうひとつ摘んだマシュマロを口に運ぶと、固い感触が奥歯に当たった。キルシェは急いで呑み込んでにっこりした。
「……とっても、おいしい」
 カルセドニーは心配そうにキルシェの顔を覗き込んだ。
「今、変な音したぞ? ――あっ、卵の殼が入ってたか!?」
「ちょっとだけ……」
「すまん!気をつけたつもりだったんだが……。まさか他にも入ってないだろうな。――う
ん、これは大丈夫そうだ」
「大丈夫だよ」
 三つ目を食べてキルシェは笑った。
「本当においしいから。ありがと、カルセドニー。すごく嬉しい」
キルシェの唇を見つめ、カルセドニーが舌を伸ばす。
「……粉がついてる」
 ぺろりと唇を舐め、そのまま唇をふさがれた。バニラエッセンスが甘く香るキスを交わしながら、カルセドニーは持っていた箱をサイドテーブルに置いた。
「おまえの唇はマシュマロより甘くてやわらかいな。やっぱり俺、マシュマロよりおまえが食いたい」
 欲望のにじむ囁きに、キルシェは頬を染めた。押し倒され、のしかかる重みに深い安堵を覚える。キルシェはカルセドニーの逞しい背中に腕を回した。
「食べて……。全部食べちゃって、カルセドニー……」
 男が官能的に低く笑う。
 キルシェの望みは、たっぷりと時間をかけてすべて叶えられた。『ごちそうさま』というカルセドニーの満足げな囁きを、恍惚と眠りの狭間でキルシェはうっとりと聞いていた。


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