薔薇の運命II 美女と野獣と貴公子と!? (1)
『薔薇の運命』の続編ですが未完です。おそらくこのまま放置プレイかと……:(´◦ω◦`):
「だめ……っ、遅れちゃう」
キルシェは身を捩り、男の抱擁を逃れようとした。背後から回された逞しい腕から逃れるすべなど華奢なキルシェには元よりなく、あっさりと顎を捕えられ、唇をふさがれてしまう。
「んっ……!」
傍若無人に入り込んできた舌に目を瞠る。腕を叩いて抗議したが、男に聞き入れるつもりがないのは明らかだった。噛みつくように唇を吸われ、きつく絡めた舌を擦り合わされると、息苦しさだけでなく瞳がとろりと潤んだ。
「や、ん! だめっ、カルセドニー。跡ついちゃう……っ」
「チョーカーで隠せばいい」
官能的な低声で囁かれ、キルシェは反射的に小卓に置かれた天鵞絨と真珠のチョーカーを横目で見た。
ちょうどこれを着けようとしているときに、カルセドニーが入ってきたのだった。女官のひとりがキルシェの髪を邪魔にならないように持ち上げ、もうひとりがチョーカーを首に回した瞬間、侍従が皇太子の来訪を告げた。
何気なく入ってきたカルセドニーは、ほっそりと優美なキルシェのうなじにいたく感銘を受けたらしい。つかつか歩み寄ったかと思うと、背後から抱きしめて肩口に唇を落とした。
「ちょ、カルセドニー!?」
仰天したキルシェは身を捩ったが、すでにがっちりと男の腕に捕えられていた。何人もいた女官たちは全員そそくさと出ていってしまった。気を利かせたつもりだろうが、キルシェにはひとつも嬉しくない。
「や、やめて、カルセドニー。ほんとに遅れちゃう」
「行かなきゃいい」
「そ、そんな――、っ!」
脇腹を大きな手でそそのかすように撫でられ、キルシェはびくりと身を竦めた。鋭敏な反応に気をよくしたか、カルセドニーはドレスの上から胸のふくらみをそっと掌に包み込んだ。やわやわと揉みしだかれると、情けなくも瞳がますます潤み、抵抗力が奪われてしまう。
「あ……、お願い、カルセドニー……」
「ん? してほしいのか?」
「ば、ばか! やめてって言ってるの! 今はしたくない!」
「本当か? 確かめてやる」
片頬で皮肉っぽく笑った男が、いきなりドレスを捲り上げる。キルシェは真っ赤になって抗った。
「なっ、何をっ!?」
「本心じゃなかったら仕置きだ」
耳元で囁かれ、背筋がぞくぞくした。ドレスとアンダードレスを捲り上げた手が、腿の間を割って下着の上から秘処に触れた。
びくりと背を反らした瞬間、背後でノックもなく扉が開いた。
「お支度はまだですか、妃殿下? ミュリエル王女が、お義姉様はまだかとそれはもうやかましくお騒ぎで――、おや」
入ってきた人物が状況に気付いて沈黙する。振り向かずとも声でわかった。皇太子付きの宮廷魔道士シリルだ。
キルシェは顔から火を噴きそうなほど真っ赤になった。背を向けた恰好でまだよかった。こんな状態で真っ正面からシリルと顔を突き合わせたら、二度と面と向かって話せなくなりそうだ。
ふう、とシリルが嘆息するのが聞こえた。
「……まったく。真っ昼間から発情して襲いかかられては妃殿下のご迷惑でしょうに」
そのとおりだと叫んでやりたかったのに、いきなりカルセドニーが秘裂に指を滑り込ませてきたので、反射的になまめかしい喘ぎ声を上げてしまった。
「ぁんっ」
慌てて口を両手で押さえたが、時すでに遅し。シリルがふたたびげんなりと嘆息するのが聞こえて、キルシェは泣きたくなった。
カルセドニーは憎たらしいほど平然とキルシェの秘処を愛撫しながら、冷えた声音で魔道士に命じた。
「出てろよ、シリル。それとも見物したいのか」
「妃殿下がいいとおっしゃるなら喜んで見学させていただきますけど?」
シリルは主に劣らず平然と返した。
「だとよ。どうする、キルシェ?」
キルシェは両手で口を押さえたまま必死に首を振った。その間もカルセドニーの指先に花芽を刺激され、指の間から淫らな吐息が洩れてしまう。
「……っ、く、ぅ……ふっ……」
「いやだそうだ。あいにくだったな」
横柄に顎で廊下を示され、シリルは肩を竦めた。
「二分だけ待ってさしあげます。さっさと済ませてくださいね」
扉が閉まり、カルセドニーが舌打ちをした。
「さっさと済ませろだと? 無粋な奴め」
熱い秘処からぬめる指を引き抜かれ、キルシェは息を詰めた。下着を引き下ろされ、剥き出しになった双丘を無造作に左右に割り、猛る杭が打ち込まれた。
「んっ――!」
衝撃に目を見開いたキルシェの耳元で、男が獰猛に笑った。
「嘘つきだな、キルシェ。すっかりお待ちかねじゃないか」
「や……」
皮肉られ、キルシェは弱々しくかぶりを振った。恥ずかしさと情けなさとで抗う気力は失せていた。執拗なまでに拓かれ、教え込まれた快楽に、キルシェの身体は素直な反応を示していた。
とろけた蜜壺を背後から穿ちながらカルセドニーが囁いた。
「今すぐ仕置きをしてやりたいが、二分じゃ無理だ。今夜たっぷりしてやるから楽しみにしてろ」
ぞくぞくしながら無意識のうちにキルシェは何度も頷いていた。そしてそのまま快楽の絶頂に達した。
きっかり二分後、両開きの扉を開けたシリルの目に飛び込んできたのは、猫脚の優美な椅子に満足げにどっかり座ったカルセドニーと、その膝の上に(おそらくは無理やり)載せられて気づまりそうに頬を染めているキルシェの姿だった。
シリルはいつもながら、キルシェが気の毒になった。傍若無人な皇太子は愛妻にべた惚れで、ほんのささいなきっかけでその気になってコトに及ぼうとするのである。昼夜問わず、人目もあまり気にしないから傍のほうが迷惑だ。
キルシェは華奢で優美な見た目に反して剣術が得意である。本気で抵抗すれば撥ねつけられるのだろうが、どうやら惚れた弱みであまり強くは抗えないらしい。明らかにカルセドニーはそこにつけ込んでいる。
シリルは横目で主を睨んだが、皇太子はどこ吹く風といった面持ちだ。ある意味被害者であるキルシェのほうが恥じ入った風情で目を伏せたりするので、シリルは主に対してますます憤慨の念を強めた。
ごほん、とシリルが咳払いをすると、所有権を主張するがごとくキルシェの腰に巻きついていたカルセドニーの腕がようやく緩んだ。慌てて飛び下りたキルシェは、恥ずかしそうにシリルから目を逸らし、待ち受けている女官たちの元へ小走りに歩み寄った。
「――もう少し気遣ってさしあげたらどうなんです? あれでは妃殿下も女官たちに対して気まずいでしょう」
「夫婦なんだから別にいいじゃねぇか。まだ結婚して四か月しか経ってないんだし。それにあいつ、早く子どもがほしいそうだからな」
平然とうそぶく皇太子を、シリルは呆れ顔で眺めた。
「よく言いますねぇ。ただ単にキルシェ様がミュリエル王女のことを気にかけてるのが気に食わないんでしょ」
「ああ、気に食わねぇよ。俺は王妃の次にあの女が嫌いなんだ」
吐き捨てたカルセドニーは、傍らに立つシリルを剣呑な目つきで睨んだ。
「ところでシリル。なんでおまえがキルシェを呼びに来る? いつからミュリエルの御用聞きになった」
「御用聞きではなく家庭教師です。国王陛下のご命令で、やむなく。今のところ真面目に講義は受けていらっしゃいますよ」
「けっ、猫かぶってるに決まってる」
「やはり心細いんじゃないですか? 王妃様がいたからこそわがまま放題もできたわけだし。王妃様が地方の離宮に送られてからというもの、それこそ塩をかけた菜っ葉みたいにしおたれてます」
「あの女は煮ても焼いても食えねぇよ」
カルセドニーはあくまで手厳しい態度を崩さない。そこへ身支度を整えたキルシェがやってきた。
「それじゃ、行ってきます」
「途中まで送る」
カルセドニーが立ち上がって腕を差し出す。キルシェはほんのちょっと恨めしそうな顔で睨み、しぶしぶ腕に手を添えた。
皇太子宮の外で別れ、女官を従えて王女の住む宮殿へ向かうキルシェを見送り、カルセドニーは顎を撫でて呟いた。
「うーん。恨み顔も可愛い……。泣いても笑っても怒っても可愛いとは、美味しすぎる女だ」
「飼い主ばかですね」
辟易としたシリルの言葉に、カルセドニーはしたり顔で頷いた。
「うむ。俺のヤマネは絶品だからな」
「いっそのこと、セレスタインの皇太子は色ボケだって噂でも流そうかな……。舐めくさったどこぞの隣国が国境侵犯でもしてくれれば、逆手に取ってねじ込める」
「おい。人をだしに陰謀巡らせてんじゃねーよ」
カルセドニーに睨まれたシリルは、思いっきり胡散くさい笑顔でにっこりと返したのだった。
キルシェはげんなりしながらお茶のカップを傾けた。
お茶自体は非常に美味しいのに、耳から入ってくる騒音がやかましすぎて、香りも味も何もかもが台無しだ。
騒音の元凶はテーブルの向こう側にいるひとりの少女だった。セレスタインの王女、そしてカルセドニーの異母妹のミュリエルだ。
十七歳という妙齢で、しかも美人の母王妃に似てかなりの美少女なのだが、今はとにかくぼろぼろに泣き崩れているため、お茶と一緒でそんな美貌も台無しだった。
ミュリエル王女はお茶が運ばれてきてからずっと、いや、キルシェが王女宮を訪れてからずっと、一方的に喋り続けている。
内容は愚痴、泣き言、不平・不満、恨みつらみ、その他類似のもろもろである。ミュリエルは目を真っ赤に泣きはらし、涙と鼻水のしみたハンカチを何枚も取り替えながら、くどくどとこぼし続けていた。
「ねぇ!? そう思うでしょ、お義姉様!?」
「ええ、本当にそうね」
ふたりの間に交わされる会話は、さっきからこれだけだった。あとはミュリエルが勝手に喋っている。
彼女の愚痴の対象になっているのは、母王妃、父国王、兄皇太子の身内三人と、使用人全般だ。
母の大それた野望のせいでこんなとばっちりを受けるはめになっただけなのに、父は自分を住み慣れた王妃宮から追い出してこんな古くさく狭苦しい建物に押し込め、兄は哀れな妹を見舞いにも来ない。
そういったことを、言葉を変え、言い方を変えながらミュリエルは延々と繰り返した。キルシェはそれを辛抱強く聞いて相槌を打っていたのだが、さすがにそればかり続くと耳を傾けるのを頭が拒否するようになった。
最初のうちは舅である国王や夫のカルセドニーを庇う発言もしていたのだが、ひとつ言い返せば反論を十倍返しされる。あげくに大声で幼児のようにわんわん泣きだされ、困り果てたキルシェはやむなく同意できないことでもひたすら拝聴に徹することにした。
「ねぇ!? そう思うでしょ、お義姉様!?」
「ええ、本当にそうね」
この『会話』も何度目だろう。キルシェは本当に頭痛がしてきた。
カルセドニーが絶対訪問しないのも無理はない。どうせ愚痴を聞かされるだけなのだ。それに、ミュリエルの処遇は彼女が愚痴るほどひどいものではない。
豪華な王妃宮から移されたのは気の毒だが、新たに与えられた王女宮だって全然悪くないとキルシェは思う。
確かに、王妃宮ほど広くもなければ派手でもないし、宮廷の中心部からは少し離れている。そのぶん閑静で瀟洒な館なのだ。独身の王女がひとりで住むには充分ではなかろうか。
召使も、以前とは顔ぶれはまったく違うし数も減ったが、それでも必要にして充分な数は揃っている。
もっとも、王妃に溺愛されて甘やかされ、わがまま放題に育ったミュリエルには、自分の意のままにならないことはすべて気に食わないのだろう。
(ミュリエルは我慢したことがないんだ。文句を言いたくなるのも無理はない)
そう自分に言い聞かせ、キルシェはせめて美味しいお茶を楽しもうとした。
ミュリエルとは対照的にキルシェの人生は我慢のしどおしだった。自分のしたいことよりも、しなくてはならないこと、すべきことがいつでも優先だった。
それがすっかり身についてしまい、キルシェは『義務』と関係のない自分の私事を声高に主張できない。いつもそれは後回しで、結局しそびれるのが常だった。
そして今も辛抱強く『義務』を遂行中というわけである。融通がきかないな、と自分でも思うが習い性だから仕方ない。
やがて、喋りすぎたミュリエルが声を嗄らして咳き込み始め、水だシロップだと女官たちが騒ぎだしたのをしおに、キルシェはそそくさと暇乞いをした。
「……疲れた……」
私室に戻り、ぐったりとベッドに突っ伏してキルシェは呻いた。
この『苦行』が済んだら銀竜騎士団に行って気晴らしするつもりだったが、とても剣を振るう気力がわかない。ミュリエル王女の泣き言攻撃は、キルシェの予想以上に心身両面にわたるダメージを与えたようだった。
たぶん、その前にカルセドニーと交接したことも、疲れがかさむ原因になったに違いない。もともとキルシェの体力はかなり限られていて、思う存分剣を振るうためにはふだんおとなしくして体力を温存しておかなければならないのだ。
カルセドニーとの行為は、いつもキルシェの体力を一気に奪った。そのあとすぐに横になって休めればまだしも、立ったままの交接で絶頂を強いられたすぐ後にミュリエル王女の愚痴を聞かされては、身体も心も休まるひまがない。
(少し寝よう。そうすれば元気が出る……)
キルシェは枕に顔をうずめ、目を閉じた。急速に眠気が訪れ、キルシェは数秒のうちに寝入っていた。
「……キルシェ。おい、大丈夫か?」
そっと肩を揺すられ、キルシェははっと目覚めた。カルセドニーが心配そうな顔で覗き込んでいる。部屋はもう暗くて、ランプが灯っていた。
「あ……、お帰りなさい。いけない、寝過ごした」
「具合悪いんなら寝てろよ。でも、着替えたほうがいいな。ドレスじゃ寝苦しいだろ」
「大丈夫、少し疲れただけ」
ベッドに座り直して微笑むと、カルセドニーは憮然と眉間にしわを寄せた。
「ミュリエルの奴、まだおまえにぐちぐち言ってんのか。もう行くなよ。おまえが付き合ってやる義理なんかないんだからな」
「だって、誰も聞いてくれなかったら悲しいでしょ」
「悲しむような可愛げはあの女にはねぇよ。悔しがるだけさ」
「ひどいな。半分とはいえ血のつながった妹なんだから、もう少し気にかけてあげたって」
「あの王妃が生んだ娘なんぞ、とても妹とは思えんね」
カルセドニーはおぞましげに吐き捨てた。その気持ちもわからないではない。グリシーヌ王妃は、カルセドニーの母を殺させたのだ。皇太子として宮廷に上がったカルセドニー自身も何度も命を狙われた。
キルシェとカルセドニーを謀殺しようとした罪が露呈して、ついに王妃は宮廷を追われた。今は王都から遠く離れたとある離宮で、監視されながら暮らしていると聞く。
王妃の企みでひどい目にはあったが、それを聞くとキルシェは何となく気の毒な気分になるのだった。
何不自由なく、夫に愛されて暮らしている自分に負い目を感じているせいかもしれない。いや、生きていること自体に負い目があるのだ。キルシェ自身は殺され、妹姫リーリエの身体で蘇ったという秘密がある。
いくらリーリエが進んで自分の身体を譲ってくれたといっても、やはり心の片隅では、妹に対する罪悪感を抱いたままでいる。
(……だからミュリエルが気になるのかも)
リーリエはキルシェの異母妹だった。ミュリエルのカルセドニーの異母妹だ。立場が似ているので、どうしても気になってしまう。できるだけ優しくしてあげたいと思うのだ。
「いいか、キルシェ。あの女のとこにはもう行くなよ。気にかけてやればやるほど、つけあがるだけだ」
不機嫌きわまりない顔つきで命じられ、キルシェは唇を尖らせた。
「そんなわけにはいかないよ。ひとりぼっちじゃ寂しいでしょ」
「自業自得だ、放っとけ。だいたいあいつにはさんざん意地悪されただろうが」
「それは……、そうだけど。でも、王妃様の影響を受けてただけだと思う」
「ふん、威を借りる虎がいなくなってしょぼくれてるだけさ。別の虎を見つけたらまた威張り散らすに決まってる。もっともそんな都合のいい虎はいねぇだろうが」
キルシェは溜息混じりに苦笑した。
「母親のいいなりになってただけだよ。だから、国王陛下だって王妃様と一緒に宮廷から追放はしなかった」
「確固たる証拠がなかったんで、『娘は何も知らなかった』という王妃の言い分が通っただけだ。限りなく黒に近い灰色だよ」
「よっぽどミュリエルが嫌いなんだね」
呆れがちに呟くと、カルセドニーは肩をすくめた。
「生理的嫌悪感ってやつだ。前に言っただろ。あいつ、俺に色目使いやがったんだぜ。腹違いの兄妹だってのに、気持ちわりーんだよ」
「かっこいいお兄さんだからじゃないの?」
くすくす笑うとカルセドニーは大仰に顔をしかめた。
「冗談じゃねーよ。ずいぶん醒めてんだな、キルシェ。あいつが俺に色目使っても気にならないのか?」
「だってカルセドニー、色目使われて気持ち悪いんでしょ? ぜんぜんその気ないってわかるもの」
「あるわけねぇだろ」
不機嫌そうに吐き捨て、カルセドニーはキルシェをベッドに押し倒した。至近距離から目を見つめて呟く。
「……おまえが色目使ったら一発で落ちるけどな」
「使わなくても勝手に襲ってくるくせに」
言い返すと、カルセドニーはばつの悪そうな顔になった。
「あれは……、悪かった。謝る。だけどおまえってむやみに色っぽくてさ。なんかこう、すげぇそそられちまうんだ」
「何それ。わたしのせいなわけ? 誘惑してるつもりなんて全然ないよ」
「だからそこがおまえのヤバいとこなんだって」
カルセドニーはキルシェのうなじに性急なキスを繰り返した。キルシェは心地よさにうっとりしながら囁いた。
「だめだよ……、もうそろそろ夕食の時間」
その言葉を待っていたかのように扉が叩かれ、夕食の用意が整ったと侍従が告げた。カルセドニーはしぶしぶと身体を起こした。
「……そういや、今夜たっぷり仕置きをしてやるって約束したっけな」
「おまえが勝手に決めたんだ!」
キルシェは真っ赤になって言い返した。カルセドニーはにやりとしてキルシェの顎を捕え、思わせぶりに囁いた。
「そうか? 何度も頷いてたくせに」
「もうっ……! 先行っててよ。服を直してから行くから」
キルシェはわざと邪険に男を押し退けて立ち上がった。満足そうな笑みを洩らしたカルセドニーは、後ろからキルシェの肩を掴み、うやうやしく肩口に唇を落とすと「早く来いよ」と囁いて部屋から出ていった。
キルシェは閉まった扉を睨み、女官を呼ぶベルの紐を八つ当たりのようにぐいぐい引いた。
「パーティー?」
夕食の席で、キルシェは食事の手を止めて夫を眺めた。
ワイングラスを傾けながら皇太子が頷く。
「ああ。親父の六十歳の誕生日なんだ」
キルシェは小首を傾げた。
「カルセドニーは……、えっと、二十二歳だっけ?」
「あと一月で二十三だな。――なんだよ。そうは見えねぇってか」
「まぁ、ふたつかみっつは年上に見えるかも」
「老け顔で悪かったな」
「別に老けてるとは言ってないよ」
キルシェは苦笑した。確かに、頑健な体つきや悠然とした態度、目つきの鋭さもあいまって、カルセドニーは実年齢より上に見られることが多い。
皇太子付きの宮廷魔道士シリルは、実際には主より五歳も年上なのに、見た目は彼のほうがずっと若く見えるのだからおかしなものだ。
「国王陛下が結婚されたのは、カルセドニーが生まれた後だよね。王族にしてはずいぶん遅かったんだね」
「親父は昔から偏屈な社交嫌いだったからな。女が嫌いってわけじゃないが、愛想よく喋ったり、機嫌を取ったりするのが苦手だったんだ。今でも変わってねぇが」
「結婚話はあったんでしょ? 確か、即位したのかなり若かったよね」
「ああ、祖父さんが急死してな。なんでも子どもの頃に決められた婚約者がいるにはいたが、顔も合わせないうちに病気で死んじまったんだと。それ以来、のらりくらりと結婚話を躱し続けて、街をぶらついてるときにおふくろと出会ったらしい」
「馴れ初めは?」
「それがよくわかんねぇんだ」
カルセドニーは顔をしかめた。
「おふくろには聞きそびれたし、親父に訊いてもいつもはぐらかされる。思うに、きっとすげぇ恥ずかしい出会いだったんじゃないかな。ゴロツキに絡まれてボッコボコにされたところをおふくろに助けられたとかさ」
「カルセドニーのお母さんってどんな人だったの?」
「一言でいえば、そうだな、剛毅な姐さんタイプかな」
「へぇ……、意外」
「そうか?」
「だって、国王陛下は薔薇園でカルセドニーのお母さんを偲んでいるでしょ。何となく、もっとこう、たおやかな感じの人だったのかな、って」
懐かしそうにカルセドニーは目を細めた。
「薔薇は好きだったぜ。ま、確かにちょっと意外な一面っていう感もあったが。基本的には豪快だったな。近所の悪ガキにいじめられて泣いて戻ってくると、一発殴り返してきな、と背中をばしんと叩かれた」
「えーっ」
「また意外か?」
「いや、カルセドニーがいじめられて泣いて帰ったというのが。絶対ガキ大将だと思ってた」
「それから半年後には、町内は俺の天下になった」
ふふんと笑い、カルセドニーは得意気に鼻をこすった。
「やっぱり……」
「ま、おふくろは『未婚の母』ってやつだったからな。どっかの貴族の囲いモンだって皆知ってたし。親父とはずいぶん歳が離れてて、俺を生んだとき確か二十歳そこそこだった。親がそういうこと喋ってんの聞けば、あいつら日陰者なんだって子どもも察するだろ? 恰好のいじめ対象さ。さすがに国王の情婦とは、誰も思ってなかったらしいが」
「お母さんは、相手が国王だって最初から知ってたの?」
「いや、俺を身ごもった後だ。結婚してくれと親父に懇願されても、絶対いやだとおふくろは拒否したそうだ。『籠の鳥にはならないわ』、って腹ボテで啖呵切られて、親父は絶句したとか」
「なんか……すごいね……」
でも、わかる気は、する。
「親父が結婚したのも、おふくろに背中を蹴っ飛ばされてやむなく、だったみたいだ。国王としての責任を果たしなさい! とかなんとか怒鳴られたらしい。……どうせなら、もうちっと相手を選んでほしかったが」
カルセドニーはふと言葉を切って沈黙した。
王妃となったグリシーヌは国王が市井の女を寵愛していると知り、それを見て見ぬふりはできなかった。
嫉妬に駆られたのか、プライドが許さなかったのか、それはわからない。自らが病気で王子を亡くし、子を産めなくなったことも、憎悪に拍車をかけただろう。
ともかくグリシーヌは人を使って母子の暗殺を謀り、カルセドニーだけが生き延びた。そして彼は、母が『籠の鳥にはならない』と拒否した宮廷に皇太子として迎えられたのだ。
どれほど窮屈で居心地悪い思いをしたことか……。宮廷で生まれ育ったキルシェでも、時に息が詰まりそうな思いをしたのだ。自由闊達に育ったカルセドニーには、まさに狭苦しい鳥籠に押し込められた気分だったに違いない。
キルシェは手を伸ばし、カルセドニーの手を握った。考え込んでいたカルセドニーがはっとして顔を上げる。キルシェは男に微笑みかけた。
「でもカルセドニーは、鳥籠には収まりきらないね」
軽く目を瞠った皇太子は、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「おまえもだろ?」
「カルセドニーなら、鉄の檻でも壊しちゃいそう」
「俺を閉じ込めておける檻はおまえだけさ」
握った手にくちづけながら囁かれ、キルシェは赤くなった。男の目に野性的な渇望がゆらめくのを見て取り、そわそわと目を泳がせた。
「……で、パーティーはいつだっけ?」
「明後日だ」
食事を終えた男は、デザート代わりにみたいにキルシェの手を愛撫しながら答えた。ふと、思い出したように彼は目を上げた。
「そういえば、クリソプレーズの新任大使が挨拶に来る。何か言われても気にすんじゃねぇぞ」
クリソプレーズは失脚した王妃グリシーヌの故国で、海沿いの商業国だ。大陸各国の王室や大貴族に自国の王族を送り込み、水面下で影響力を広げている。
グリシーヌが失脚すると同時に、前の大使は国に呼び戻された。王妃の謀略に加担していた証拠はないが、何かしら便宜を図っていたとしてもおかしくはない。
グリシーヌ王妃と連座して、キルシェの義母であり先のヘリオドール王妃であったカトライアも失脚した。彼女も元はクリソプレーズ王室に連なる姫君で、今回の謀議により太后の地位を剥奪した上で故国に戻された。
「……クリソプレーズは手駒をふたつ、続けざまに失ったってことか」
ひとりごちると、カルセドニーが不敵に微笑んだ。
「そういうこと。となれば、今度はおまえに近づいてくる公算が高い」
「わたしに? どうして」
「おまえは『リーリエ』だろ」
「あ……」
そうだった。
カルセドニーといるとつい忘れてしまうが、自分は表向き『キルシェ』ではなく『リーリエ』なのだ。そして、リーリエを生んだのはクリソプレーズ出身のカトライア……。
「リーリエはセレスタインの皇太子妃であり、同時にヘリオドールの女王だ。うまいこと取り入るか、取り込めれば、同時に二国に影響を及ぼせる」
「取り入られないし、取り込まれないから! わたしはクリソプレーズとは何の関係もない」
「ああ、そう頼むぜ、俺の女王様。――ところで、一緒に風呂に入らないか?」
「もう、カルセドニーってばそういうことばっかり……」
「どうしても嫌っていうなら無理強いはしないぜ?」
「別に……どうしても嫌ってことは、ないけど……」
尻すぼみに呟くと、カルセドニーがとぼけた顔で『ん?』と眉を上げた。キルシェは頬を染めて男を睨んだ。
「ずるいんだから……」
「そういうとこも好きなんだろ?」
「知らない!」
キルシェは男の手を振り払って立ち上がった。睨んでやっても男は余裕で笑ってる。
つんと顎を逸らして食堂から出たものの、どのみち誘いを拒絶しきれないことはわかっていた。
事実、その夜キルシェは浴室で男が仕掛けた巧みな愛戯に手も無く溺れ、媚態を晒してみだらな哀願を繰り返すはめになったのだった。
国王の誕生日祝賀ということで、パーティーは盛況だった。
社交嫌いで人込みが嫌いな国王は、息子の結婚式すら欠席したくらいなのだが、自分が主役の催しとあっては顔を出さないわけにもいかない。
祝辞を述べる貴族たちに仏頂面で頷いている。その苦行に耐えるかのような面持ちに、気の毒と思いながらもキルシェは忍び笑ってしまった。
キルシェが挨拶した時は、ホッとした様子で、「やれやれ」とでも言いたげに茶目っ気のある微笑を浮かべたが、それ以外は相手が誰だろうと無愛想に頷いて短く返礼するだけだ。
「――まったく、これだから国王は偏屈でとっつきにくいって言われるんだよな」
礼装用の軍服に身を包んだカルセドニーが溜息混じりに頭を掻いた。せっかく整えた髪が乱れ、キルシェは爪先立ちをして男の赤毛を手櫛で直した。
「やっぱり親子だね」
「何が」
「カルセドニーもあんな感じだった。結婚式の後、祝宴のとき」
「そうか?」
不服そうに男は顔をしかめた。
「ふふっ、そういう顔すると、ほんとにそっくり」
「しゃーねぇだろ、愛想を振りまくのは苦手なんだよ」
「出世しないタイプ。皇太子でよかったじゃない?」
「どうだかな」
カルセドニーは鼻を鳴らし、鋭い目つきで周囲を眺めた。皇太子であるカルセドニーには、公式の場に出るときは必ず警護がつく。彼が総長を務める銀竜騎士団所属の騎士たちだ。
しかしグリシーヌ王妃との確執によって、自分の身は自分で守るという習性がすっかりしみこんでしまったらしい。くつろいで無警戒に見えても、カルセドニーはいつも周囲の状況に注意を払うことを怠らない。
実際、警護の者よりもカルセドニーは遥かに強く鋭敏で、彼のほうから警護に注意を促すこともしばしばだった。
賑わう大広間を見渡し、皇太子は眉をひそめた。
「……ミュリエルも来てんのか」
視線の先を窺うと、数人の貴婦人に囲まれて居心地悪そうにしているミュリエル王女の姿があった。
「当然だよ、王女なんだから」
「ふん。親父も泣きつかれてほだされたか」
「実の娘でしょ」
「嫌っちゃいないが、露骨にべたべた甘えてくるから苦手みたいだぜ」
「それは……そうかも」
ミュリエルとの不毛なお茶会を思い出し、キルシェは口許を引き攣らせた。
王女の周りを囲んでいる貴婦人たちの顔はキルシェも見知っていた。全員、国王の信頼厚い側近貴族の奥方である。
(監視役か……)
キルシェはミュリエル王女が可哀相になった。以前は大勢いた王妃の取り巻き貴族は、王妃が失脚すると同時に勢力を失った。官職を失った者、左遷された者、とばっちりを受けるのを恐れて自主的に宮廷から遠ざかった者も多い。
召使も総入れ換えされて、気心の知れた者はミュリエルの周囲にはひとりもいなくなった。甘えられる相手はもはやキルシェしかいないのだ。
気落ちした顔で周囲を眺めていたミュリエルが、キルシェに気付いてぱっと明るい顔になった。反射的に進み出ようとしたキルシェの肘を、有無を言わせぬ強さでカルセドニーが掴んだ。
「行くんじゃねぇ」
恫喝めいた低声で囁かれ、キルシェは眉をひそめた。
「挨拶くらい……」
「しょっちゅう会ってんだろ。今さら挨拶なんか必要ない」
カルセドニーは強引にキルシェの腕を取って別方向に大股で歩きだした。逆らえず、足早に続きながら振り向くと、ミュリエルがひどくがっかりした表情になるのが見えた。
罪悪感で胸がうずき、キルシェは小声で男に抗議した。
「ちょっと、カルセドニー。大人げないんじゃない?」
「何とでも言え。今後、ミュリエルと茶飲み話をするのは一切禁止だ」
「勝手に決めないでよ! わたしが自分の意思でしてることなんだからっ」
「おまえはお人好しだからな。放っとくと自覚のないままあの女に骨の髄までしゃぶられちまう」
決めつける男にキルシェは呆れた。
「悪く取りすぎじゃない? ねぇ、カルセドニー。ミュリエルは周囲の影響を受けやすい子なんだと思う。だから、カルセドニーが優しくしてあげれば、きっとすごくいい子になるはずだよ」
「女狐を飼い馴らす趣味はねぇんだよ。可愛いヤマネのご機嫌を取るのに忙しくてな」
無造作に言われてキルシェは眉を吊り上げた。
「ヤマネって言うな! だいたい、おまえがわたしの機嫌を取るのは、好き勝手した後だけ……」
「皇太子殿下」
脇から声が上がり、カルセドニーがいきなり足を止める。半ば引きずられていたキルシェは勢い余って男の固い二の腕に鼻先をぶつけてしまった。頭に来て睨み付けると、カルセドニーはひどく驚いた顔をしていた。
「バザルト……?」
進み出た壮年の男がうやうやしく礼を取る。年頃は国王と同じか、いくらか上かもしれない。濃灰色の短髪で、短い口髭を生やしている。灰青色の瞳は穏やかではあるが、鋭利な光を湛えていた。
「ご無沙汰しております、カルセドニー様」
微笑んだ男に、カルセドニーは珍しくはしゃいだような声を上げた。
「バザルト! 久しぶりだなぁ。元気だったか?」
「お蔭様で、息災でございます」
「うん、それは何よりだ」
嬉しそうに頷いたカルセドニーは、戸惑っているキルシェの肩に手を回した。
「ドゥルソー伯バザルトだ。成人するまで俺の目付役だった。いや、師匠と言ったほうがいいな」
「あっというまに追い越されましたがね」
バザルトは苦笑したが、その笑みは誇らしげでもあった。
「こっちは俺の妃のリーリエだ。ヘリオドールの女王でもある」
公式の名前を出され、キルシェは気を引き締めた。
「お初にお目にかかります、妃殿下。女王陛下とお呼びすべきでしょか」
バザルトは差し出されたキルシェの手を取り、口許に寄せて挨拶した。
「セレスタインでは皇太子妃ですから……。初めまして、ドゥルソー伯。どうぞよろしく」
「ご結婚おめでとうございます。お祝いにも伺わず、ご無礼いたしました」
「バザルトは国王直属の金獅子騎士団の副長だったんだ。総長は親父だけど形式的なもんだから、実質的にはトップだな」
「昔のことですよ。カルセドニー様が宮廷に上がられてまもなく引退しましたから」
ということは、今から十年ほど前だ。カルセドニーより十センチほど背は低いが、バザルトの体つきはがっしりとして、無駄なく引き締まっている。体格的には父である国王よりも彼のほうがカルセドニーと似かよっており、今でも充分現役で通りそうだ。
そんなキルシェの疑問を察したか、バザルトは微笑んだ。
「少々やっかいな病気をしましてな。医者からしばらく休養するように言われたのです。その間、国王陛下のお申しつけで皇太子殿下の稽古を監督しておりまして。さいわい病は全快しましたが、カルセドニー様を鍛えるほうが楽しくなってしまって……。結局、早めに引退することに」
「それからは俺専属の教師ってわけだ」
カルセドニーは自慢そうに言った。何だか微笑ましい。
「それにしても、大層お美しい姫君も娶られましたな。実にその、よくお似合いで」
「世辞はいらんぞ。無理することはない。美女と野獣ってみんな言ってる」
「まぁ、そういう感もなきにしもあらず……ですかな」
「そうだろ?」
カルセドニーは犬歯を覗かせてニヤリとした。あっけらかんとした皇太子に苦笑しているバザルトに、誰かが背後から声をかけた。肩ごしに振り向き、バザルトは頷いた。
「ちょうどよかった。殿下にご紹介したい人が」
バザルトの後ろからすらりと長身の人物が現れた。無骨で逞しいカルセドニーとは対照的に、引き締まった細身の体格だが、身長はそれほど変わらない。
何気なくその人物の顔を見て、キルシェはぽかんとした。端整な美貌がゆったりと微笑んだ。
金糸のような髪が自然と額にこぼれ、切れ長の翠の瞳は神秘的な輝きをたたえている。
(……そんな……)
信じられない。
どうして彼が、ここに……!?
キルシェは軽い眩暈を覚えた。
彼を紹介するバザルトの声が、ひどく遠いところから聞こえてくる。
「クリソプレーズの新任大使、アマティスタ侯爵――」
(……リュアクス)
聞かずとも名前はわかっている。
ずっと前から、キルシェは彼を知っていた。
(つづく)
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